永六輔って何をした人なの??意外と知られていない永六輔の活動。
永六輔(えい ろくすけ)
昨年7月に83歳で亡くなられた永六輔さんですが、この方がどういう方か知らないという方、意外と多いのではないでしょうか。
今回は簡単に永六輔とはどういう人なのかを紹介していきたいと思います。
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作詞家としての永六輔
作詞家としても多くのヒット曲を生み出しています。
どちらも知らない人がいないほどの名曲ですね。
他にも『いい湯だな』、『帰ろかな』なども永六輔さんが作詞しています。
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随筆家としての永六輔
200冊以上の著書があり、随筆家としても有名でした。
有名作品としては『大往生』(1994年出版)などがありますね。映画化もされており永六輔さん本人も出演していました。
タレント・パーソナリティとしての永六輔
ラジオ番組では『永六輔のだれかとどこかで』が1967年から2013年まで46年間放送され、その間パーソナリティを務めた。
その他にも多くの番組に出演、パーソナリティを務めていた。
テレビ番組に関しては、82歳の時『徹子の部屋』の40周年記念ゲストとして車いすの状態でありながらも出演しました。
しかし、過去に共演していたタレントの粗相に怒り、生放送にもかかわらず退場したこともあり、テレビよりはラジオでの活動を好んでいたようです。
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社会・政治に対しての永六輔
有名人でありながらも政治や社会に対しての発言も多く、死刑制度、天皇制や叙勲制度反対を貫いていました。
日本共産党の推薦人として講演を度々行ったり、護憲組織「九条の会」に賛同したりしていた。
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最後に
永六輔さんを一言で表すのは難しいですね。
説明するとしたらマルチな才能を持ち、自分の信念に基づいて生き続けていた人ですかね。
多くの人が永六輔さんの姿に魅かれ、影響を受けたかと思います。亡くなってからでもその影響力は生き続けている気がします。